#158規律

アシュタンガヨガは伝統をとても大切に、師から生徒へと伝えられている。
伝統を大切にしているというけれど、はっきりとした答えがないことがあるし、暗黙のルールみたいなのがあるように感じていた。
かと思えばきっちりとルールがあったり。

不思議が多いので、自分自身で確かめてみたくてインドに来た。

アシュタンガヨガの総本山マイソールではどのようにその伝統が受け継がれていて、どんなことを大切にしているのだろうと。そこに世界中から集まる生徒はそれをどのように解釈しているのだろうと。そしてどのようなエネルギーが生まれているのだろうと。

そしてインドマイソール。
交通量の異常な多さ。鳴り止まないクラクション。黒ずんだ排気ガス。こっちのビジネスのインド人は、あっちのビジネスのインド人はやめとけ高すぎると言うし。あっちのインド人は、こっちのインド人はやめとけ高すぎるという。交通ルールは特にめちゃくちゃ。いやめちゃくちゃシンプル。前に進め。以上!
動物や自然との共存や循環。困っている人がいるとみんなこぞって集まってみんなで助け合う。朝から晩までどこかで聞こえる祈り。毎朝玄関に水を撒いて掃除。だけど綺麗とはいえない虫という同居人がいる私の部屋。日本人が認識する汚れとインド人が認識する汚れは違うのかなと思うほど。
矛盾や強行突破。
だけど、Everything is possible.
2ヶ月では理解しきれないのでまた来たくなる。
これがインドの思惑なんじゃないかと疑ってしまうほど、日本にいる時より疑い深くなってしまい、到底信じる委ねるとは遠い気持ちになっていた。笑
多分何度来てもずっと理解できないんだと思うけど。。。笑

そしてアシュタンガヨガの総本山での練習。
サラスワティー先生はアシュタンガヨガはDiscipline であると言った。
後から疑問に思いシバに”disciplineとは例えばどう言うことだと思う?”と質問した。
シバは”respect”と答えた。
今度はサラスワティ先生に聞いてみようと思う。

Respect とは日本語に訳すと尊敬と訳しそうだが、もしかしたら謙虚でいることと訳すと自分の中でしっくり来た。
先生との関係性距離感は執着する関係や期待する関係ではない。
先生は生徒である私にとってどういう存在なのか。
ただリスペクトを示す存在であることのように今日は思う。
期待をする対象でもないし、判断される対象でもない。
あくまで練習自体は自分自身がするし、自分自身のためにある。
自分の内側を探求するため。


8月からアシュタンガヨガの先生を始めたので、ではどういう先生でありたいのかまた考える。なにを提供したいか。

今日も練習できる環境に感謝します。
みなさんもいい1日になりますように。